辰吉丈一郎
生涯戦績は、28戦20勝14KO7敗1分
これより戦績の優れた世界王者はいくらでもいますが、辰吉丈一郎ほど勝っても負けてもファンの心をガッツリつかんだボクサーはいない。
浪速のジョーは紛れもなく90年代のカリスマだった。
頂点を極めた若き天才
辰吉は1970年に岡山で生まれた。幼いころに両親が離婚。ほどなくして祖父母も他界し、幼少時代は父・粂二さんと2人きりだった。
粂二さんは病弱だった辰吉が5歳のとき、体力作りを兼ねてボクシングの手ほどくをした。やがて、ひ弱だった少年は腕っぷしの強いガキ大将となり、小学生高学年から中学時代にかけて、地元で派手に暴れまわったという。
こうして成長した辰吉が、ボクシング界のカリスマとなり得たのは、何よりその才能が抜群だったからだ。
中学卒業後、大阪帝拳ジムに入門すると、才能は瞬く間に眩いほどの光を放つ。
身長164cmにしてリーチが178cmという日本人離れした体格。柔らかい身のこなしは中南米の選手を思わせた。パンチ力もケタ外れだった。
ジム入門から2か月後、スパーリングで高校王者をボディブローでKO。17歳でアマチュアの全日本社会人選手権を制覇。世界王者クラスとスパーをさせても互角というのだから驚きだ。デビュー前にこれほど武勇伝を作った選手も珍しい。ジムの壁には、この少年が5戦目で世界タイトルを獲得するまでのスケジュール表が貼りだされた。辰吉のスパーを目にすると、それも当然のことのように思えるから不思議だった。
89年にプロデビューを果たし、早くも4戦目で日本タイトルマッチに挑戦する。
王者は、バンタム級のホープ岡部繁。
当時、プロ4戦目で日本タイトルを獲得すれば最速記録だった。後楽園ホールは徹夜組を含め、身動きが取れないほどの大観衆で埋まった。異様な熱気がリングを覆う中、関西のルーキーは日本王者をまったく寄せ付けず、4回KOで勝利したのです。
その後、辰吉への注目度は爆発的に高まった。歯に衣着せぬ発言が話題を呼び、ノックアウトの前に右腕をグルグルと回すパフォーマンスに観客が酔いしれた。そしてどんなにリング外の言動が派手であっても、ボクシングへのとことん真摯な姿勢がファンの心をつかんだ。
6戦目で世界ランカーのアブラハム・トーレスと引き分けたときだ。辰吉は言い訳をするどころか「負けや、負け!全然あかん!」と言い放ち、周囲を驚かせた。そして8戦目、世界初挑戦の舞台でグレグ・リチャードソンを10回終了TKOで下して世界王者に。8戦目での世界タイトル奪取は、当時の日本最速新記録だった。
だがこのとき、後に辰吉を待ち受ける試練を誰が想像できただろうか。
世界タイトル獲得後、網膜裂孔が発覚した。相手のパンチで目の病気を患い、長期戦線離脱を余儀なくされてしまう。その後、今度は網膜剥離が判明。国内ルールでは網膜剥離は即引退を意味する。辰吉は引退の危機にさらされた。
だが、手術を受けて眼疾が回復したとして、現役続行が特例で許可される。そして迎えたのが94年の王者統一戦だった。正規王者・薬師寺保栄と暫定王者・辰吉が真っ向から激突。日本列島はこの「世紀の一戦」に沸き返った。試合前、両者がメディアを通して激しい舌戦を繰り広げだこともあり、テレビ視聴率は39.4%を記録。結果は辰吉の判定負けだった。
壮絶ファイトにファンが涙
世紀の一戦に敗れた辰吉は、翌年にも2度世界挑戦して連敗。もう辰吉の時代は終わりだ。だれもがそう思う中、97年にシリモンコン・ナコントンパークビューへの世界挑戦がセットされる。7回、辰吉のボディブローが決まり、シリモンコンが崩れ落ちた瞬間、大阪城ホールは地鳴りが起きたかのように揺れた。
辰吉が起こした奇跡に、日本中が酔いしれた。
2度目の防衛戦のあとに組まれたウィラポン・ナコンルアンプロモーションとの一戦も絶叫せずにはいられない試合だった。
ボロボロになりながら最後までダウンを拒否した壮絶なファイトを、多くのファンが涙を流しながら見守った。
99年のウィラポン第2戦に敗れた直後、「普通のおとっつぁんに戻ります」と発言しながらすぐに撤回。
その後も現役にこだわり続け、08年に国内で引退選手扱いになってからはタイで2度リングに上がり、いまのところ09年3月の試合が最後となっている。
本人の口からは、まだ引退の2文字は出ていない。
辰吉の次男・寿以輝
日本ボクシング界期待の星、辰吉Jrも世界を目指す!!
15年に辰吉の次男・寿以輝は、父親の所属していた大阪帝拳ジムからプロデビューした。寿以輝は、小学生から父と兄・寿希也と一緒にジムに通っていた。17歳の誕生日を8月に控えた春、プロボクサーになりたいとジムに志願。身長167cmにして80キロ以上あった体重を20キロ落とすよう条件を出され、2か月で減量に成功。ジムからプロデビューの許可を得た。親子での世界奪取という偉業に期待が膨らむ。
19年4月時点で、戦績は11戦11勝(8KO)無敗。しっかりを経験を積んで是非世界チャンピオンになってもらいたい選手だ。